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神戸の絵本作家・WAKKUN氏との想い出「絵本『てがみ』をつくるまでの話」(2000年代初期-2015年)
神戸の絵本作家・WAKKUN氏との2000年代初期から2015年までの想い出を遺すことにしました。未編集なので、あっちに行き、こっちに行きしますが、お読みください。

さて、

WAKKUN氏と出会ったのは、2000年代初期に神戸の春日野道の大安亭市場の近くにあっハルヒ(カフェギャラリーtoiroの前身)という若手作家を応援するギャラリーで出会いました。その時は、イラストレーター・太田朋氏と一緒にいらっしゃって、あいさつを交わしただけでした。

その後、2008年のrai.box・神戸(現在閉店)、2010年にDELLA-PACE・神戸で開催した絵の展覧会に来てくださって、お話を聞いたりするようになりました。

2011年OLD BOOKS & GALLERY SHIRASA・神戸の展覧会会場でもお話をしています。

2011年の11月に古道具と雑貨の店 小たに(現在閉店し移転)で展覧会を開催した時もお話をしています、

2012年になって、画家・高濱浩子氏の「はなしの旅」のチラシ制作とイベントスタッフとして働いた時にWAKKUNさんの回のチラシ制作や冊子のお仕事をしたり、お話を聞いたりしました。

2012年に小たにで展覧会を開催したなかのイベント「おはなしとおんがく」で配った冊子があるのですが、そのことでも何度か打ち合わせをしましたし、WAKKUN氏と小たにでよく会っていました。小たにの店主さんの人柄もあって小たにでの展示会を3回しましたが、わたしが小たにで品を置きはじめてからWAKKUN氏は、お店を気に入ったようで、当時はよく行っておられたようでした。

2013年OLD BOOKS & GALLERY SHIRASA・神戸の展覧会会場でもお話をしています。

2014年buckt・姫路の展覧会会場でもお話をしています。

2012年から2015年までの間に何度も会い、2011年に行った村上美香氏の「マチオモイ帖」に参加した時の話をしたりして交流をしていきました。『ゆめ・さき帖』や『ひめ・じ・帖』を見せた時、WAKKUN氏は「もっと姫路の濃い匂いが欲しいねん」と言われていました。そのことの理由を聞いてみると、わたしがしようとしたことと趣旨が違うと思ったのですが、言っておられる事は、そうだなぁと思って素直に聞きました。WAKKUN氏は「姫路におるんやったら、岩田健三郎さんに会って来な」と言われ、地図を描いた時のエピソードを話してくださいました。姫路の版画家・岩田健三郎さんに会いに行ったりしましたが、恐くて話もできずに、マチオモイ帖を渡しただけで、すごすごと帰って来たのを覚えています。

その間に、編集者として成功された話やインド紙芝居ポトゥアと画家・東野健一氏との出会いの話、医師・岩村昇氏との話、初期の作品『ジャングル・ドゥー』の話、作品『ふたりの空気』の話、作品『家来の一人もいない王様』の話、作品『小雨まじりの福井の朝』の話、漢字学者・白川静氏の話などなど、聞いていておもしろく魅力的な話を聞きました。そして、作家と一緒に仕事をすることを語ってくださいました。そして、そして重要なお話に作品集にある『てがみ』のことを評価していたフランスの歌手故ピエール・バルー氏(映画『男と女』に出演)から国際電話がかかってきた大切な話です。『てがみ』の出版を望んでおられたので絵本『てがみ』を亡くなる前に贈る事ができたのも良かったです。

このことは、「本物や!」と思う事についていろいろと知る事ができました。話がとても上手なWAKKUN氏です。話も文も上手です。それを作品にすることもとても優れています。そうしたことをとても感じたのは、作品集『友だちがいてよかった』をいただいたこと、WAKKUN氏の展覧会に何度もいきましたし、その現場で感じることもたくさんありました。共通して白川静氏の漢字学のことに興味があることもわたしには大切なことでした。WAKKUN氏の作品は、本当にわかりやすく、そしてやさしいものばかりです。

絵本をつくろうとなったのは、2012年11月の小たにでの冊子づくりの後からだったように思います。2013年〜2015年4月までに考えました。10月にMailletが5周年となるまでに作りたかったのですが、そうしたことをはじめは考えておらず、作った後付けのことなのですが、4月にWAKKUN氏の個展があるのでそこに間に合うようにとのことで2015年になってからラストスパートで作ったのを覚えています。

2013年3月の神戸での展覧会の後から、展示を見たWAKKUN氏の方からわたしの将来のことを思っていただいて…??? チャンスをくださいました。WAKKUN氏は「このままやったら器用なままで終わると思うで」って言ってくださって、「えぇ作家と組んで仕事をしていった方がいいでぇ」とmaillet booksのブックレット計画案となる元の話をしてくださいました。そう、わたしを助けてくださったのです。命がつながったのです。このことは、こんなことになるなんて思ってもみなかった驚きのことでした。

その当時、西宮のウラン堂さんが雑誌を作りたいと言われていたようで、そうした話も聞いていました。実現はされなかったけれど、雑誌や本の話を真剣に話してくださるWAKKUN氏が居て、それを聞いていました。わたしは、2015年までに13冊のブックレットを作っていく案を計画していくようになります。

デザイナーとして暮らしていくためにどうしていったら良いか考える手助けになって、自分で文を書いていくことや編集することも2013年の時点でやっていこうと考えていてギャラリーのオーナーに話していたことを思い出しました。

2013年の4月から2015年の4月までの2年間で制作をして形にしていったように思います。2ヶ月に1回以上のペースでお会いして、後半になるにつれ、自分の熱意を伝え、あつあつの情熱を伝えたと思います。そして、手紙も何通も書いたと思います。電話で話したこともありました。

なかなか作品が上がって来なかったこともあって、1年半は、雑談でした。WAKKUN氏を知る事がまず第一のことでしたから、交流をしつつ、自分の気持ちを整理していくことで、作り上げていく、練習のような…。勉強会を開いていただいているような…そんな日々でした。指導をやさしくしていただいて、親身になって教えていただいた…。
その期間は、学生の課外授業のような2年間でした。

WAKKUN氏から学ぶことは、内面を磨く事、気がつく事。いろいろな事から自分のことを知ってそれをどうやって形にするのかということでした。

本のダミーを約10冊つくりました。最初から最後までどんどんと変化していきました。WAKKUN氏は、「俯瞰して作りたいねん」の一点張りだったので、良い作品がなかなか上がって来なかったです。2015年のギャラリーヴィーでのWAKKUN氏の個展が決まるまでは、なかなか作品ができなかったですし、絵本の原画展をしていただけることになって、ようやく見えてきました。ギャラリーヴィーの案内状ができてやっと本の表紙ができたという裏話もしながら…。

マイェより




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by maillet | 2017-05-13 18:25 | おもいで
菅野聖子氏と関わりのある安井叔子氏との想い出(2011年-2013年+2017年)…
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故人・安井叔子氏との想い出をすこしだけ記録として遺すことにしました。
未編集なので、あっちに行き、こっちに行きしますが、お読みください。

さて、

わたしは、2011年OLD BOOKS & GALLERY SHIRASA・神戸(現在閉店)にて展覧会を行ったのですが、その時に、偶然入って来られた老婦人の方がいらっしゃいました。

その方は、ご覧になられて、連絡先を交換していたのか…後日、菅野聖子氏の具体詩の作品のコピーを送ってくださいました。何も書かれておらず、何を伝えようと思っておられたのか分かりませんでした。しかし、わたしは、勉強をしたら良いとのことだと思い、菅野聖子氏のことを調べはじめました。

手がかりは、なかなか分からずに過ごしておりました。当時の十数年前くらいの案内状をインターネットで見つけたくらいで、それ以外は、検討がつかなく、その時に芦屋市立美術博物館の存在もわからずにいました。

2013年になって同じ場所で開催した時、展示していたB1ポスターをご覧になられて、インクジェット印刷であることから購入を見送られました。本当の印刷だったら…と言われておられました。その時に、海外で買ったという真鍮でできたバングルを身につけていらっしゃるのを見せていただき、手にとらせていただいて構造を確認させていただきました。

その後、同年の古道具と雑貨の店 小たに・神戸(現在閉店し移転)での展示にも来てくださって、月のブローチ(12月のブローチ)を購入くださった(掲載写真)のです。もしかしたら2014年の洋服屋 gui・神戸(現在閉店)での展示に来ていただいたのかもしれません。

同じ時期に、電話がかかってきて、真鍮のパーツを作って欲しいの。と頼まれました。なんでもご自身の作品に使いたいと言われました。それで作って郵送してプレゼントさせていただきました。その時に足の具合がよくないの。とか、体調が優れないからなかなか展覧会に行けないかもしれないの。と言われていました。

安井氏から手紙が届き、アンリ・ミショーの詩集・解説本の2冊をいただきました。本の整理をしているの…と。その時の手紙のなかに2013年7月〜9月に宮城県美術館にて行われた「特集:菅野聖子」展を知らせてくださいました。わたしは、教えてもらったので、すぐに宮城県まで新幹線で行き展示を見てきたと安井氏に伝えると驚かれていました。そうなの!って言われていました。

その後、個人としての展示をしていなかったこともあり、案内状を送る事を控えていました。

今年2017年になって、2015年に他界されていたことを知りました。そんな、、、驚きのあまり、、、となり…。それは、MARUNI・神戸で行った展覧会の案内状とポスターを送ったのですが、それを見られた親族の娘さん(Y氏)から電話をいただいたので分かりました。その電話では、想い出を語らせていただいて、故人を偲びました。

お元気ですか? また、お顔をみせて下さいませ

と手紙に書いていたらしいのです。案内状とポスターに掲載していた作品を見て、見に行ってみたいと思ってもらいY氏が会場に来られました。そして、話をし、アンリ・ミショーの本を2冊譲り受けました。そのひとつが『ひとのかたち』でした。

わたしにとって、菅野氏の作品は、2012年の国立新美術館での具体展で見たことと京都国立近代美術館のコレクションで大きな作品を実際に見ていました。まとまったコレクションを見たのは、2013年の宮城県美術館での展示がはじめてでした。その図書室で芦屋市立美術博物館での展覧会の図録を発見し、図版を眺め、文章を読み研究を進めていきました。

その後、2016年になって芦屋市立美術博物館に訪れた際に菅野聖子氏の図録を手に入れました。本当に!?1997年当時に発行されているので20年前の図録が手に入るの!!!と小躍りどころのさわぎではなく、美術館のスタッフさんに「手に入ると思ってなかったです!!!」と言いました。それくらい感激してしまって。その中で、菅野氏が、具体詩を新国誠一氏のグループASAで作品を発表していらっしゃったことの記述を見つけ、わたしの本棚から新国氏の作品集の文章を読み、作品を眺めていました。2008年に新国誠一展に国立国際美術館まで見に行っていたので、そちらで雑誌ASAを読んでいました。そこにヘルムート・シュミットさんのタイポグラフィ作品が掲載されていたことを知ったりしました。

いろいろなことがつながり、わたしは、菅野氏のことを知っていきました。深く知っていくきっかけを安井氏からもらって菅野氏の生きた時代のことをすこしづつ見つけていきました。1950年〜1960年代のアートシーン、デザインシーンでの美しさを考えていく事になりました。菅野氏の背景を図録によって知る事ができ、わたしの研究は進みました。2017年の4月MARUNI展で開催した展覧会のポスターには、その研究の一部を見ていただけると思っております。

研究と実験を行って、わたしは、何をみつけようとしているのか…。わたしなりの作品をつくっていくための研究であると思っています。藤森照信さんが建築史家として研究し文章を書いてから建築を建てたように、わたしもまた、研究によって作品を作れるようになろうとしています。

もちろん今でも真鍮の作品を発表したりしていますが、そちらは、そちらですし、グラフィックデザインとして、平面作品をつくる上での研究対象は、そうした1950年〜1960年代のシーンにおける作品たちに興味があり、戦後初期の日本や戦後初期のヨーロッパに興味を持っています。それは、「平和」における諸問題が議論され、具体的に結論が出て、まとまっていたのだと思います。

グラフィックデザイナー・杉浦康平先生の作品の1964年頃の雑誌『音楽芸術』の表紙や、雑誌『数学セミナー』の表紙、雑誌『デザイン』の表紙から時代の流れが感じられますし、1967年から1970年代の菅野氏の作品からは、そうした雑誌を見ていたのであろうと推測され、図録のなかに書いてある文から想像して考えます。菅野さんが興味を持っていた分野の「雑誌」に時代の表現があることは、わたしは、注目していることです。

そのことを調べていると、明治や江戸後期のことを知りたくなってきて、西欧列強との問題、輸入・輸出された品などから浮世絵につながっていて…。わたしの原点である、版画という世界にまた戻っているのだと思います。結局のところわたしが最初にしようとしていたことへ戻っていき、はじめて作品を作った時に感じたことへとつながっていきます。

菅野さんの作品を見ていて2017年になってからアイデア311号(2005年)の記事のことを思い出しました。購入してから12年経っていました…。と、それで妙に気になり、虫の知らせのような感じで、マヨ・ブッパーさんの作品集『OPEN SIGN』を購入しました。58頁〜61頁に掲載の1993年頃の作品に菅野さんの作品との類似性を感じ、26年経った頃にそうした作品が再び作られていることにも着目しました。そうして、そうしたことからコンセプトが生まれていきました。それがMARUNIで開催した展示の作品につながっていきます。

制作メモをとっていると、わたしが考えていたことがよく分かり、2017年の2月からノートにつけだして書き出していると興味も分かるしおもしろいと考えていることもわかります。

安井叔子さんという婦人に出会ったことは、人生において大きなことだったと思っています。すこしの会話、そして手紙。それだけのやりとりでしたが、関係を持ってくださることというのは、とてもありがたいことでした。なかなか正体を教えてくださらなかったこともあって…。今、亡くなってから知っていくことの方が多いです。

わたしは、安井氏に見せたくて作っていたのです。(見てもらいたい人は、もちろん一人だけではなく、いろいろな方々へ。たくさんいました)しかし、そんなことは、叶わないことでした。わたしは、安井氏にこうした話がしたかった。真剣にしゃべれなかったとしても、冗談みたいなおしゃべりになったとしても。安井氏がくださったきっかけを十分に研究に費やして、それをかたちにしたいとおもっていました。それが、感謝につながると思ったからです。わたしのことを気にかけてくださったことの恩返しできたかなぁと思います。もっともっと研究をして、新しく生み出したい…。

わたしは、そうした特別な方との交流のことを言いたいのではなく、いままで通り交流してくださる方々との想い出も大切にしたいですし、このエピソードは、ひとつの想い出です。わたしの人生のなかで出会ったことのなかで、とても大切にしたいことが詰まっていて、「手紙」を通して感じることもあり、最近はじまったペンフレンドとの想い出もいつか文章にしてみたいと思っています。

マイェより




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by maillet | 2017-05-13 16:05 | おもいで